NOTE 01
交通遊園の機関車は「1号」なのか「4号」なのか
宮崎交通のコッペル機関車のうち、児童交通公園に残る1両が「初代1号機」なのか「晩年に1号を名乗った4号機」なのか――現時点で整理できる範囲のメモです。
宮崎交通で使われていたコッペル機関車は、
開業時に導入された「1号機」と、その後に加わった「4号機」など複数両があり、
長いあいだ宮崎のまちの足として走っていました。
しかし、現在、実物として残っているのは宮崎市・児童交通公園に保存されている1両だけです。
この保存機については、
- 開業時の「初代1号機」そのものが、廃車後に宮崎大学を経て交通公園に移されたとする説
- もともと「4号機」だった車両が、晩年に「1号」(2代目1号)と名乗るようになり、その姿のまま保存されたとする説
という、二つの見解があり、現時点ではどちらか一方に断定することはむずかしい状況です。
1号機と4号機、それぞれの姿
初代 1号機(開業時のコッペル)
- 1912年(大正元年)ごろ、ドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社で製造。
- 1913年(大正2年)、宮崎軽便鉄道(のちの宮崎交通線)の開業に合わせて導入。
- 小さなBタンク機関車として、通学・通勤や沿線へのお出かけ、観光列車などを牽引。
- 廃車時期は、1941年(昭和16年)ごろとする資料と、1951年(昭和26年)ごろとする資料があり、ここは諸説あります。
4号機(のち「2代目1号」とも呼ばれた機関車)
- 大正末〜昭和初期(1920年代半ば)ごろに、より新しいコッペル製機関車として導入されたと考えられています。
- 昭和期には旅客・貨物どちらにも使われる主力機のひとつとして活躍。
- 宮崎交通線が廃止される1962年(昭和37年)まで走り続け、廃止記念列車や、その後のレール撤去作業にまで従事したと伝えられています。
このような経緯から、
大正末ごろから昭和中ごろまでは、1号機と4号機という少なくとも2台のコッペル機関車が、同じ路線で時期を重ねながら活躍していたと考えられています。
ざっくり年表(西暦+和暦)
資料によって細かな年は異なりますが、
おおよそ次のような流れで「1号機」と「4号機」が活躍していたと考えられます。
| 時期 | 西暦 | 和暦 | 初代1号機 | 4号機(のち2代目1号) |
|---|---|---|---|---|
| 開業〜しばらく | 1913年ごろ〜1920年代前半 | 大正2年ごろ〜大正10年代ごろ |
開業時に導入された 初代1号機が主力として活躍 |
まだ導入前と考えられる |
| 2台体制の時期 | 1920年代末ごろ〜1951年ごろ | 大正末ごろ〜昭和26年ごろ |
初代1号機として運用。 昭和20年代前半〜中ごろにかけて現役を退いたとみられます。 |
4号機として運用。 1号機と並んで列車を牽引。 |
| 路線廃止まで | 1951年ごろ〜1962年 | 昭和26年ごろ〜昭和37年 |
運用終了(静態保存へ)。 宮崎大学の構内などで保存された時期があったとされています。 |
4号機が主力として活躍。 宮崎交通線の廃線まで旅客・作業列車を牽引し、 のちに「2代目1号」としても記録されています。 |
※ 製造年や改番のタイミングについては、資料によっていくつか説があり、
ここでは複数の資料を照らし合わせたうえでの「おおよその時期」として整理しています。
結局、交通遊園の機関車はどっちなの?
交通遊園に保存されているコッペル機関車については、
- 案A:開業時の「初代1号機」が、そのまま廃車後も保存されているという見方
- 案B:もともと4号機だった車両が、晩年に1号(2代目)に改番され、その姿で保存されたという見方
の2つの説があり、研究者や愛好家のあいだでも意見が分かれています。
公的なデータベースや保存車両の案内板などでは、
「開業時に導入された1号機が廃車後も保存され、現在の交通公園に移された」という説明が多く採用されています。
一方で、写真資料や末期の運用記録から、「4号機が1号に書き換えられて走っていた」ことも確かめられており、
「本当の初代1号は先に引退し、晩年に1号を名乗った4号のほうが姿を残したのではないか」という考え方もあります。
そのため本ノートでは、現時点の結論として、
宮崎交通で使われていたコッペル機関車は、1号機と4号機など複数両が活躍していましたが、
現在、実物が残っているのは宮崎市・児童交通公園に保存されている1両だけです。
この機関車が「開業時の1号機そのもの」なのか、「晩年に1号と名乗った4号機」なのかについては、
資料によって説が分かれており、現時点でははっきりとは断定できません。
……という形で、「1両だけが残った」という事実を押さえつつ、
その素性については複数の説があることを、正直に書き残しておくことにしました。